3. 北海道美唄市で55年続く名店「やき鳥 たつみ」
北海道美唄市に位置する「やき鳥 たつみ」は、創業から55年以上にわたり、地元の人々に愛され続けてきた老舗の焼き鳥店です。
地域の名産である美唄やきとりを代表するお店で、その味わいとおもてなしは、多くの人々にとって特別な存在となっています。
地元の人々だけでなく、遠方から訪れる観光客にも愛され続けてきました。
「やき鳥 たつみ」の創業の歴史
「やき鳥 たつみ」の歴史は、藤本さんのお父様が55年前に地元でお店を開業したことに始まります。
藤本さんのご両親は、かつて銭湯を経営していました。
当時、日本有数の産炭地であった美唄市は、人口が9万人を超えるほど活気に満ちていた街でした。
しかし、石油の普及により炭鉱の閉山が相次ぎ、銭湯の経営も困難になりました。
その後、お父様は美唄やきとりの元祖「三船」で修行を積み、1968年に「やき鳥 たつみ」を地元美唄市に開店しました。
この頃、藤本さんが高校生だったのですが、お弁当に「やき鳥 たつみ」の焼き鳥が入っていたことが同級生たちの間で評判となり、自然と店の宣伝にもつながったといいます。
藤本さんのお父様が、銭湯の経営から焼き鳥店に転身されたというのは、かなりの決断だったと思います。どういった経緯で『三船』で修行することになったんでしょうか?
お袋が親父を修行に行かせたことが始まりなんです。もともと材木業に携わっていたお袋は商売センスがあり、先を見通す力を持っていました。
お母様はきっと、当時から美唄やきとりの可能性を感じられていたのですね!それでも、焼き鳥という新しい事業に挑戦するには、相当な勇気が必要だったと感じます。
ええ、最初はかなり不安もあったと思います。でも、美唄やきとりは地域の伝統として根強い人気がありましたし、父はその伝統を守りつつ、自分の味を作り上げたいという強い思いがあったんです。
創業され、『やき鳥 たつみ』の基盤を築かれたお父様に、心から敬意を表します。
ところで、藤本さんが高校生の頃、お弁当に焼き鳥が入っていたというエピソードをお伺いしました。当時は、焼き鳥がお弁当に入っているのは珍しかったのででょうか?
そうですね、最初は正直、いじられるんじゃないかって少し不安だったんです。でも、逆にみんなが「くれくれ」って欲しがって、すぐに友達の間で評判になったんです。
そうなんですか!確かに美唄やきとりは一度食べたら忘れられない味ですよね!それがお弁当の中に入っていたら、わたしも欲しくなっちゃいます!
おかげでそれがいい宣伝になって、友達が家族を連れて店に来てくれるようになったんです。思わぬ形で店の宣伝になりましたね。笑
素敵なエピソードですね!学生たちにも愛される焼き鳥というのが、今の「やき鳥 たつみ」の原点だったんですね。
「焼き鳥たつみ」の継承と成長
お父様から「やき鳥 たつみ」を受け継ぎ、2代目として店を守ることになった藤本さんですが、当初はお店を継ぐつもりはなく、高校卒業後は静岡で就職されました。
数年後、美唄市に戻ると、お店は以前よりも大きく立派になっていたそうです。
その頃からご両親に「店を継いでほしい」と頼まれるようになりましたが、すぐに継ぐことはせず、31歳の時に「たつみ」を継承されました。
その後、藤本さんは美唄やきとりを全国に広めるため、積極的にイベントに出店し、美唄やきとりの名を広めました。
「たつみ」を継がれてからのご苦労も多かったのではないでしょうか?
そうですね、毎日が本当に忙しかったです。朝から晩まで働いて、イベントにも積極的に出店しました。おかげで、周りからは「美唄一の働き者だね」と言われるくらいでした。笑
若かったので寝なくても大丈夫でしたね。笑 PRも兼ねてあちこち歩いて回ったり、とにかく一生懸命やりました。
すごいですね!藤本さんのその努力が、「やき鳥 たつみ」と美唄やきとりを全国に広まるキッカケになったんですね。藤本さんの努力の賜物ですね!
藤本さんは約2年前に引退されましたが、その情熱と努力は次の世代にしっかりと受け継がれています。
現在は、奥様とお嬢様の旦那様が「やき鳥 たつみ」の伝統の味とおもてなしを守り続けています。
家族で紡がれるその味は、今後も変わらず多くの人々に愛され続けることでしょう。
55周年の試練と「焼き鳥たつみ」の再起
「やき鳥 たつみ」は、昨年末、創業55周年を迎える直前に大きな試練に直面しました。
突然の火災により、店舗部分が全焼してしまったのです。
火災直後の2日後には、テント販売を始め、その取り組みが話題となり、多くの方々が応援に駆けつけました。
さらに、日本やきとり文化振興協会の仲間たちが見舞いに訪れ、全国からの温かい支援を感じることができました。
藤本さんはその支えに感謝しながら、これからも美唄やきとりの伝統を守り続けていく決意を新たにしています。
そして「やき鳥 たつみ」は、藤本さんとその家族、スタッフ、そして地域の皆さんの支えを受け、わずか55日という短期間で新店舗での営業を再開しました。
この「55日」という数字は、創業55周年と重なる偶然のものであり、店と地域の強い絆を象徴する出来事でした。
火災からもうすぐ1年が経とうとする今も、藤本さんは感謝の気持ちを胸に、美唄やきとりを愛する人々に最高のおもてなしを提供し続けています。
藤本さん、昨年末に火災があったと伺いましたが、その時のことをお聞かせいただけますか?
あれは本当に突然の出来事でした。お盆前の深夜、火災報知器が鳴り響き、最初は誤作動かと思っていたんですが、妻が慌てて知らせに来て、店が燃えていることを知りました。店内は瞬く間に煙が充満し、すぐに避難しなければならない状況でした。
それは本当に大変な状況でしたね。しかし、わずか2日後にテント販売を開始されたと聞いて驚きました。
1日でも早く再開したいという気持ちが強くありました。家族やスタッフ、そして地域の皆さんが一丸となって支えてくれたおかげで、なんとか営業を再開することができました。
55日後には新店舗での営業も再開されたんですよね。この「55日」という数字には特別な意味が込められているように感じます。
そうですね、創業55周年と同じ数字というのも偶然かもしれませんが、これも何かの縁だと思っています。再建に向けては多くの人々の協力があり、本当に感謝しています。この経験を通じて、店と地域との絆の強さを改めて実感しました。
4. 美唄やきとりの特徴と作り方
美唄焼き鳥の最大の特徴といえば、やはりもも肉、きんかん・肝臓・心臓・砂肝などの内臓、皮を1本の串に刺すこと。
これにより、一口ごとに異なる食感や風味を楽しむことができます。
さらに〆も特徴的で、美唄やきとりの串をそばの上に乗せて食べる「もつそば」が大人気です。
焼き鳥の旨味とそばつゆが絶妙にマッチするこのもつそばを、美唄やきとりを堪能した後に食べるのが美唄流の楽しみ方です。
味付けは、主に塩コショウでタレは使用しません。シンプルですが、これが美唄やきとりの魅力を引き出しています。
美唄やきとりを調理する上で大変なことはありますか?
やはり仕込みが一番大変です。丸2日かかりまして、1日目は鶏を解体し部位ごとに仕分けします。
はい。今は7割くらいですが、新鮮味が大切なのでなるべく自分のところでやった方がいいんです。 2日目はもも肉、皮、脂を1つの鍋でボイルするんですが、一緒にボイルすることでもも肉が脂を吸収してやわらかくなります。
もも肉、皮、脂を一緒にボイルするのがポイントなんですね!
内臓は臭みをとるために、別の鍋で長めにボイルします。ボイルが終わると適当なサイズにカットして、朝から約20人で串刺しをします。
作業になれた早い人だと1分で2本の串を作れるそうですが、1日に仕込む量は通常で3,000~4,000本とすごい数。
年末の繁忙期はそれ以上になるそうです。
なので、20人という大勢に手伝ってもらいながら、「やき鳥 たつみ」自慢の串を作っておられます。
たつみ独自のこだわり
たつみでは、炭と味付けにこだわって調理されています。
炭は備長炭と木炭を使用し、味付けには、3種類の塩を独自でブレンドしたものを使用しています。
焼き手は、10年以上の経験がないと焼き師とは呼べないというくらい経験が大事だそうで、その経験と努力が美唄焼き鳥の品質を支えています。
美唄やきとりは、炭焼きで塩コショウが一番合うんじゃないかと思います。 以前にタレも試しましたが、現在は塩コショウのみですね。今たつみでタレを使っているのは肝臓と豚串だけです。
焼き鳥というとタレのイメージがありましたが、美唄やきとりは塩コショウが当たり前なんですね! 焼き師には10年以上の経験が必要とお伺いしましたが、現在たつみで藤本さんが合格とする焼き師さんは何名くらいいらっしゃるんですか?
3人ではないんですね!笑 でも、それだけ難しいってことですよね。 3,000~4,000本の串をその人数で焼いているなんて...想像したたけで圧巻の光景ですね...